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東国原県知事が
2009 / 06 / 23 ( Tue ) 23:19:56
東国原宮崎県知事が、自民党から出馬要請されたそうですが……。
県知事になりまだ4年経っておらず、4年でもできないことが多くて続投する人が多いくらいなのに、
こんな中途半端でそんなことになったら、がっかりしてしまうなぁ。

前から自民党にはがっかりしていたけれど、
上に書いたようなことなんてとっくに分かっててそんなことをするくらいなんだから、ありえない。
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時事 TB:0 CM:0 admin page top↑
風に舞い上がるビニールシート
2009 / 06 / 22 ( Mon ) 23:06:10
NHKドラマの「風に舞い上がるビニールシート」を毎回録画して時間あるときに見てます。
今まで見てたような、見て元気になる話でもないし、原作が好きでというわけでもなく(というかまだ読んでない)、
主演の吹石一恵さんが結構好きで、とか、UN職員はぼんやり憧れるとか、そういう理由で見始めました。

思っていたよりも重い話で、観賞後は毎回ちょっと暗くなって考え込んでしまいますが、
そういうきっかけをもらえてよかったと思えます。
世界のどこかで起こっている、難民問題や災害など、身近でないはずの困っている人たちのことを、
もう少し身近に考え、自分に置き換えて痛みを感じることができるようになることもたまには必要なのではないだろうか、
とそんな気にさせられました。
もちろん、自分のこと、家族のこと、地域のこと、自分の国のことの方が身近でより重要ですが、
遠く離れている人たちのことを、思い切り他人として見るのではなく、もし自分が同じ立場だったらと想像すると、
物事に対する考え方を、少しずつ変えていくことができて、
周りの人に対してもう少し優しくなれるのではないかと思いました。
とは言っても、あまりにも遠くはなれているので、リアルに想像することなんてなかなか難しい。
最近疲れていると、ドキュメンタリーでそういう重い話だと、今日はパスと思ってしまったりするし。
だから、そう言う点で、いいきっかけをもらえてよかったなと思いました。
原作も今度買ってこようかなと思います。
日々の徒然 TB:0 CM:0 admin page top↑
臓器移植法A案
2009 / 06 / 18 ( Thu ) 23:13:34
本日、この法案が案外あっさり可決されてしまった感があります。
まだ、参院の方が残っているから、これからどうなることやら、ですが。

ちなみに、A案とは、脳死イコール人の死と考え、今まであった年齢制限がなくなり、
本人の生前の拒否なく家族が認めれば臓器移植可能という案です。
今までは15歳未満は禁止で、本人の認知が必要、脳死は臓器提供時に限り人の死というものでした。

家族の認知がなければ移植されないので、あまり関係ないのかもしれないのですが、
私はいつも、この問題を身近なものとして考えるとき、深く考えすぎて答えを出せないのです。
最近のテレビを見ていると、どちらかというと、「日本で移植できず、海外で移植するための多大な資金がないと治らないかわいそうな子たちが沢山いる」ことばかりに焦点が当てられている気がします。
と言っても、全てのそれに関する番組を見ている訳じゃないので、あくまで私が見ていた番組にしぼられてしまうのですが。

もしも、自分の家族が移植しないと治らない病気にかかってしまったとき。
いくらお金がかかっても、治る方法がどこかにあると分かっていたら、海外でもどこでも、
できる限りのことをして治してあげたい、そして、また病気にかかる前のように過ごしてほしいと思うでしょう。
それに、もし自分の身体が脳死状態になったとして、死後、自分の身体が誰かの役に立てるならすばらしいことなのではないかと少し思います。

しかし、もしも、自分の家族が脳死状態になったとき。
脳死でも、心臓は動いているので、まだ家族の身体は暖かいのです。
しかも、脳死でも、身長が伸びたりするなど、家族にとっては「死んでいる」と受け取りがたいことがいくつかあるそうです。
そういう状態で、「死んだ」と見なし、身体のあちこちを切り取られ、もちろんその後は心臓も動かないのだから切り取った傷は治らないから若干グロい状態になってしまうし、目も誰かのために使われるなら、顔も見られた状態ではなくなってしまうし、身体はあちこちを転々として戻ってくるかもしれないから、しばらく亡骸とは会えないかもしれないし……と、脳死ではなく普通に誰かが亡くなったときと、想像以上に変わった状況が待っているのではないでしょうか。
上の話は、知り合いで、おじいさんが孫の通う医大に貢献したいと、亡くなったときに学用患者になったときの話から想像したのですが、本当に、事後の話は大して変わらないのではないかと思います。
その人はおじいちゃん子だったので、亡くなってひと月くらいしておじいさんが戻ってきて、その状態を見たとき、かなりショックだったそうです。まあ、そのケースは、身体全部を検体にしてかまわないとおじいさんが書いていたそうなので、実際脳死でそこまでなるかどうかは分かりませんけど。
とにかく、身近な家族が、亡くなって、それだけでもショックなのに、綺麗な身体じゃなくなって戻ってくるという点、そして、まだ身体が暖かいのに亡くなったと認めなくてはならないのかもしれない点で、
私は、私の家族がもし万が一そういう状態になったとき、もし家族がドナーカードを持っていたりしても、
私は自分のエゴで、それを認められないかもしれない、
そして、きっと、家族も同じように考えるかもしれないことを考えると、
「私が脳死になったら誰かに提供してあげてね」と言えないんですよね……。

人にはそれぞれ考え方があると思うので、年齢に関係なく家族の同意と本人の拒否なければ移植可能というのは賛成なのですが、
脳死イコール人の死という前提には、簡単にうなずけないものがあります。
その前提を作ってしまうと、脳死状態のまま心臓が動いている限りはつき合っていきたいと考えている家族が、移植待ちの人たちに対して少しでも後ろめたい思いを抱かないといけないと感じてしまったり、批判されたりして、何かしら生き辛くなってしまわないかどうか懸念してしまいます。
また、もしかしたら医療が発達して、脳死でも奇跡的に回復するかもしれない可能性があったり、
移植しなくても人工の代替物でなんとかできるようになるかもしれない可能性を、
小さくしてしまうのではないでしょうか。
……というのは、まあ、リサーチの足りない小娘(?)の独り言なのですが。

テーマ:政治・時事問題 - ジャンル:政治・経済

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